ショスタコーヴィチってどんな人?
ご訪問いただき、ありがとうございます。
石川県金沢市(泉野町)のまーぶるピアノ教室
ピアノ講師の中村真里です
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本日はショスタコーヴィチについて
書いてみたいと思います。
20世紀の作曲家、ショスタコーヴィチは、
ピアニストだったお母さんのてほどきで
9歳からピアノを始めました。
13歳でペトログラート音楽院に入学、
17歳でピアノ科、19歳で作曲家を修了します。
卒業作品の「交響曲第一番」が国内だけでなく
ヨーロッパでも反響をよび、
作曲家デビューを果たします。
その後大学院に進み、
ピアニストになるか作曲家になるか
迷った末に作曲家の道を選んだそうです。
20代~30代にかけてオペラや交響曲の
創作活動がに力を注ぎます。
その頃の代表作には、
オペラ「鼻」や「ムツェンスク郡のマクベス夫人」
「交響曲第五番(革命)」があります。
認められたショスタコーヴィチは、
レニングラード音楽院やモスクワ音楽院で
教授に任命され、
作曲と教育の活動に専念します。
ですが、第二次世界大戦になると、
芸術も常にソビエトの監視下におかれ、
作品によっては国の方針に従わないとみなされ、
教授職を解任された時期もあったようです。
晩年は監視下が弱まったこともあり、
それまで公表を控えていた「交響曲第四番」や
「ヴァイオリン協奏曲第一番」なども発表し、
十二音技法や現代音楽的技法を
思う存分作品に盛り込むことが
できるようになりました。
50代~60代は体調を壊し、
右手の機能が失われる不幸に襲われます。
弾くことも書くことも出来ない中、
作曲への情熱は衰えず、
難局を乗り越えて数々の名作を残したそうです。
ときには意にそぐわない作品を作ることを
余儀なくされ、
自由に表現できない中でも
辛抱強く、不屈の精神で創作に挑んだ
ショスタコーヴィチ。
彼の作品は「彼の生きざま」そのものですね✨
明日はショスタコーヴィチの
子どものための作品をご紹介します。
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本日もお読みいただき。
ありがとうございました!
≪参考資料≫